ドラキュラについて

うも僕です。

ドラキュラと聞いて知らない人はいないだろう。
アイルランドの作家、ブラム・ストーカーによって1897年にホラー小説「吸血鬼ドラキュラ」が書作されて以来、ヴァンパイアの代名詞となった。

今回はドラキュラについて少し掘り下げたいと思う。

 

厨二心を擽るドラキュラの由来


– ヴラド3世 –

現在のルーマニア南部を収めていたヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ)がドラキュラと呼ばれ、また自称したとされる。

彼の父であるヴラド2世がハンガリーの王室を守るドラゴン騎士団に所属してドラクルと呼ばれていた。
現地では~の子と表現をする際、語尾に「a」を付加することから、ドラクルの子、ドラクレア(Draculea)、これが英語読みとなりドラキュラになったのだとか。
ドラクルは「竜」または「悪魔」という意味合いを持ち、ヴラド・ドラキュラ公は「小竜公」といった解釈で使われたようだ。

日本の戦国武将でもそういう傾向があったよね、「鬼」義重とか、「越後の竜」景虎など。
強い者、偉大な者を比喩する表現であったのだろう。

ヴァンパイアとは

生前に犯罪を犯した、神や信仰に反する行為をした、惨殺された、事故死した、自殺した、葬儀に不備があったなど、何らかの悔いを現世に残したものがヴァンパイアになるとされている。
古くから血液は生命の根源であると考えられており、死者が血を渇望するという考えが存在し、ヴァンパイアの伝承に繋がっていったのだとか。


– カーミラ –

ヴァンパイアの語源はルーマニア・リトアニア語の「Wempti(ヴェンプティ)飲む」と、トルコ語の「uber(ウーバー)魔女」が複合した言葉だそうだ。

ヴラド3世の治世

ルーマニア南部は元々土着の豪族による連合政権といった色合いが強く、有力な貴族の合議によってたびたび君主が入れ替わることがあり、また近隣のオスマン帝国、ハンガリー、ポーランドといった列強からの干渉も受けた。
そのような中でヴラドは君主に権力を集め、中央集権化を目指したとされる。

ただそのやり方がエグく、有力貴族を招待して酒宴を開き、油断した貴族らを皆殺したり、治安維持や病気流行の抑止として貧者や病人を建物に集めて火を放ったという。

またヴラドは、オスマン帝国の攻勢によってルーマニアやハンガリーが圧迫を受ける中、優れた軍略でルーマニアを守った英雄であったが、捕虜を串刺しにしたり、頭に釘を打ち付けるなど残酷な手で殺したことから串刺し公という称される話も伝わっている。
これは敵であるオスマン帝国の士気を削ぐ意味があったのだろうが、もともと苛烈な人物だったようだ。


– 串刺し公 –

このような血を好む性格と、前述した生者の血を求めるヴァンパイアの伝承が合わさり吸血鬼ドラキュラが生み出されたとされる。


– 映画インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア –

伝承におけるヴァンパイアやドラキュラは恐ろしものだが、僕の中でのイメージは、映画インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアであり、強く、美しく、儚く、自身が背徳的で汚らわしいものであることに葛藤する人間臭いものとして心に残っており、厨二心を非常に擽らされる。

今後は吸血鬼伝承や映画についての掘り下げで出来たらいいなぁと思う。

 

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