あの震災を振り返って

うも僕です(=゚ω゚)ノ

先日友達と会話していた際に東日本震災のことが挙がった。

僕の親戚は東北に住んでいる人が多く、近しい人の中には実際に津波の被害に遭い九死に一生を得た、あるいは財産を失った方もいる。
確かに一番ひどい目に遭ったのは、被災した地域と、その周辺の東北、北関東に住む人々であり、僕が受けた被害は微々たるものなので、口にするのは憚られるような気がしてこれまであまり話題に出すことがなかった。

しかし改めて僕の身の上に起こったことを振り返ると、結構大変だったなぁ・・・と思う。

当時、僕は東京に住んでいたのだが、被災後すぐにはそこまでの被害はなかった。
せいぜい交通機関が全面的にマヒし帰れなくなったり、5日~1週間ほど学校や仕事へ行くことが出来なくなった程度である。
問題は被災後しばらくしてからだった。

福島原発事故の影響で5月~9月ぐらいまで実施された、首都圏の各地域をローテーションで意図的に停電させることにより大幅な節電をする計画停電というものがあった。
仕方ないとはいえあれはきつかった・・・w

まず冷蔵庫の中が全滅。
避難民が流れ込んだり、道路や線路などの破損から、交通網が制限されていたり、津波や放射能により東北の農業、漁業といった産業もマヒしていたので、そもそもスーパーやコンビニにいっても物資がない。
ようやく手に入れても計画停電で日中は冷蔵庫が使えない。
季節も梅雨時期~夏であったので、物が傷みやすく生ものの取り置きがほぼできなかった。

次に暑さだ。
停電される地域は当然、自家発電の備えがなければどの建物でもエアコンや扇風機が使えない。
それも計画停電が実施されるのは盛り暑い日中だ。
通常の水道管から生活用水を得られる地域はいいが、地下水を汲み上げるポンプ式の地域は水を得られない。
学校や企業も自治体からの節電のお達しがあり、空調を控えるなどして、かなり蒸し暑い室内で勉学や仕事に励むことになった。
これらのことから結構な人が熱中症になった記憶がある。

そしてなんといっても物がない。
金はあっても物がない。ペットボトルの飲料水すら手に入れるのに一苦労。
これは先に記述した交通機関の制限や産業のマヒからくる物資不足によるものだが、仮に店側も物資を調達できても、停電により保存できない。
親戚等の支援のため、いくらかのお金を送金する連絡をしたところ、お金より米を送ってくれと頼まれたこともあるほどだ。
なにせお金があっても買う物がないのだから。そして送る側も物がない。
更にはようやく手に入れて物資を送ろうにも交通機関の制限のため届かないという事態。

復旧が進むにつれ、これらの事態は解消されていったが、あの時は本当にどうしょうもなかったねぇ・・・。
平時ではお金は大事だが、緊急時にはなんの力もないと痛感させられたよ。

3.11というと被災時の悲惨さ、被災地の現状などが多くピックアップされる。
しかしあまり表には出てこないが、震災による二次災害的に関東圏でも割と悲惨なことになっていたのだ。

備えあれば憂いなしという言葉がある。
災害は人間の都合など考えてはくれないので、日ごろから緊急時のための食糧や水は確保しておくのがいいだろう。

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