日本三大幽霊について

うも僕です。

皆さんは日本三大幽霊というのをご存知だろうか。
四谷怪談のお岩さん、番町皿屋敷のお菊さん、そして牡丹灯籠のお露さんである。
お岩さんとお菊さんは語るまでもなく有名だが、お露さんを知っている人は割と少ないのではないだろうか。

今回は牡丹灯籠のお露さんについて少し書いていこうと思う。

牡丹灯籠

浪人である「萩原新三郎」に恋をしたお露。しかし、お露は新三郎を想うあまり、恋い焦がれて死んでしまうのだ。お露の死後、乳母であった「お米」は悲しみのあまり後を追って自殺してしまう。

時が経ち盆の十三夜、カランコロン…という下駄の音とともに、新三郎の家を誰かが訪れた。牡丹灯籠を手に提げた乳母であるお米と、お米に連れられたお露だった。

新三郎は死んだはずのお露の出現に驚くが、嬉しさのあまり家に上げてしまう。その光景を見ていたのは、新三郎の元で働く「伴蔵」という男である。伴蔵が見たものは、骸骨と絡み合う新三郎の姿だった。

伴蔵は人相占いをする、白翁堂勇斉(はくおうどうゆうさい)に相談し、ともに新三郎の元へ。勇斉がみた新三郎の顔には、はっきりと死相が出ている。そして勇斉の紹介で良石和尚に会い、お札を家に貼るようにと助言を受ける。

その夜訪れたお露は、お札のせいで家に入ることができず泣きながら立ち去る。その後お米とお露が向かったのはなんと伴蔵の家である。

「お札をはがして」と懇願するお露。そこで伴蔵の妻であるお峰が「百両持ってきてくれたらお札をはがす」と取引する。

次の日の夜、百両持って現れたお露は約束通りお札を剥がしてもらうことに成功する。喜んで新三郎の家に入っていくお露。

そして翌日新三郎の家を訪れた伴蔵は、人骨に首を絞められて亡くなっている新三郎の姿を発見することになる。

これを見て最初に思った。
お峰やるな…

お岩さんとお菊さんは元になる実話が存在するのに対し、お露さんは落語の怪談噺の1つであり、モデルとなった実話が存在しないそうだ。
中国の明の時代の小説集「剪灯新話」に収録された「牡丹燈記」に着想を得て、三遊亭圓朝という落語家が創作した怪談なのだとか。

また日本三大幽霊とは別に、江戸三大幽霊というものも存在する。
お岩さん、お菊さんまでは一緒だが、3つ目の話は牡丹灯籠のお露さんでなく、累ヶ淵のお累さんというお話だ。

累ヶ淵

下総国の岡田郡羽生村に、百姓・与右衛門と、その後妻・お杉の夫婦がいた。
お杉には連れ子の助(すけ)という子がいたが、生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていた。
いつしか助が邪魔になった与右衛門は、ある日、助を川に投げ捨てて殺してしまうのだった。あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけたが、累は助に生き写しであったことから助の祟りと周囲の村人は噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ぶようになった。

しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てたのだった。
谷五郎は家路を急ぐ累の背後に忍び寄ると、川に突き落とし残忍な方法で殺害する。

その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、次々亡くなってしまう。
6人目の後妻・きよとの間にようやく娘が生まれ菊と名付けるが、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語り、供養を求めて菊の体を苦しめるようになる。

近隣の飯沼にある弘経寺(ぐぎょうじ)に滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の除霊に一旦は成功するが、再び菊に何者かが取り憑く。
祐天上人が問いただしたところ、今度は、助という子供の霊だった。

古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け、戒名を与えて成仏させた。

これを見て最初に思った。
出てくる男は皆クズだな…

こちらは実在の事件が元になっている。
累ヶ淵は、現在の茨城県常総市羽生町の法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿岸の地名で、この話も様々に脚色され、怪談噺として江戸時代に広まったのだそうだ。

どちらも興味深く、恐ろしくも面白い話なのだが、僕としては事実を元にした累ヶ淵のお累さんのほうが、ゾクッとくるかな。

 

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